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2007年10月12日金曜日

感性のちがいはどこからきたんだろう?

「兄弟は他人の始まり」
とはよく言ったもので、親を見ていても、自分に置き換えてみても、自分の子供を見ていても、同じ親から生まれて同じような(全く同じではないけどね)環境で育ったのになぜこうも違うのか・・・と思うことがたくさんありますね。

グリム童話なんかには、三兄弟のそれぞれの話がよく出てきます。
たいがいは一番下の弟が最後に幸せになるという話が多いのは、下克上が現実的でなかった昔は、まさにこの展開が人々の関心を引く夢の世界だったのでしょうね。

うちの息子たちも三人三様の感性の持ち主で、長男はいわゆるインディゴチルドレン。残りの二人はクリスタルチルドレン。・・・らしい。
で、長男と次男の感性は全く違う。

次男は几帳面で争いごとを嫌い、近頃だいぶワイルドになってきたものの潔癖症チックなやつだ。
「お前はちっちゃいころ、いくら注意しても公園や庭の土を平気で食うような奴だったんだぞ。」と言っても「それはオレじゃない。」といってハバカラナイ。(いや、君だから。)
ファミレスのドリンクバーのコップを細かく点検してから、飲み物を注ぐようなちっちゃい男である。

長男は口下手で何事も気にしない。気にしなすぎな奴で、何事も受け流す人。
受け流しすぎて、重要なことも流れてしまう。常識人から見ると、かなり変な奴だ。
そのくせ時々、人の内面的なことを一言二言で言い当ててみたりするような侮れない男である。

三男はまだ発展途上ではあるけれど、クリスタルチルドレンの名にふさわしく(?)
「普通の水が体に一番いい。」と言ってみたり。突然、丸球の天然石を買ってくれなどと言い出したりする。「なぜその石なんですか?それをどうするんですか?」と聞くとあっさり「集中力をあげたいから。袋に入れて、机にぶら下げる。」などといってみたりする。ベッドの枕元に置いてあるのもある。(?????君、机で宿題やらないじゃないですか・・・トレカの整理のことですか?)
外見はただの小学4年生なんだけどな・・・。

先日、ワイシャツをめぐってこんなことがありました。
制服のワイシャツ(学校指定だけど外見上はただのワイシャツ)のボタンが取れてて着られないから、ボタンをつけてくれと次男に言われました。
まだ、暖かいんだから袖なんかまくっとけよと思いつつ、ヘイヘイ明日つけます。とハンガーに掛けて置いておいた。
次の日仕事から帰り、ボタンを着けようとしたら、ナイ。

やがて、長男が自分の学校指定のワイシャツを着て行かずに弟のを着ていっていたことが判明。
「ワイシャツなんてどれも同じじゃん。袖のボタンなんてなくても着られる。」というのが兄の言い分。
イヤイヤそうでなくて、そもそもそれは君のじゃないんですけどね。

・・・というように、~が~だから出来ない。と感じる弟に対して、~が~でも出来る。と感じる兄。
物事に対するこの感性の違いってどこから来るんでしょうかね?

そもそもこの二人、部活で同じ楽器をやっている。
弟が同じ楽器を選んだ理由は定かではないが、兄が三年間愛情込めて恋人のように手入れをしてきた、中古だけどピカピカのお下がりの楽器をもらっておいて、それを三ヶ月の間に三ヶ所凹ませた。といってこの夏休みに兄は静かに怒りながら黙々と手入れをしていた。

この三兄弟の行方、楽しみです。

2007年10月1日月曜日

マイケル・ムーア~シッコ~

マイケル・ムーアの”シッコ”という映画が公開されている。
テレビでの宣伝は見たことが無い。

なんで?

厚生労働省とか、日本医師会とかの何か陰謀めいた操作があるんでしょうか?

日本は皆保険制度が定着しているので、「アメリカってかわいそうな国なんだね。」なんて思うこと必至だからなのか?
この映画が、宣伝されない理由が分からない。

お金がかからないための保険制度なはずなのに、お金がないと入れない。
健康を維持促進するための医療なのに、お金がないと受けられない。
本末転倒な現実がアメリカにあるのです。

ここでも出てくるキューバという国は社会主義・独裁国家と呼ばれていますが、一キロ四方あたり24時間体勢の診療所を1つ置き、臓器移植に至るまですべての医療費が無料であるという医療先進国。
医学生の育成はすべて国家予算でまかなわれる。
まさにアメリカの敵国はアメリカとは全く違う制度を持っている。

国家予算の使い道の違いが、国民の安全と健康を左右するといういい見本である。

アメリカでは軍事も医療も他の産業に漏れずビジネスである。
アメリカの軍事費は国民の安全を守るために(今は世界の安全を守るために?)必要であるというのがアメリカの主張だが、国民の安全を何から守るかという大儀が欠落している。

はじめはソ連中心の共産主義だった。
東西の壁が壊れると、今度は石油産出国の反逆の主イラン。そしてイラク。
今はテロリスト・・・。
都合よく相手を替えて「お前ら何も分かっちゃいないんだよ」といわんばかりに、目ざとく「敵」を作り出しているように思えてならない。

ERなんか見てると、すごーく進んでいるというイメージのあるアメリカの医療だけど、それに預かれるのは一部の人々である。
アメリカの平均在院日数は3日といわれている。これは入院費がべらぼうに高いためで、扁桃腺がはれたから・・ぐらいで1週間も点滴しながらゴロゴロしていられる日本人からすると全く考えられない。
妊婦さんも出産1~2日で帰らないと凄い金額の請求書がくる。

話はちょっと違うけど、患者が病院にたった3日ぐらいしかいない、(で・・・給料は日本の4倍もらっている)国の考え方を中心に、それを手本にした看護師教育が行われているのも日本の現実。

健康保険制度が破綻してきているといわれている日本が、アメリカに続こうとしている動きがある。
言っておくけど、アメリカの医療制度は手本にならない世界有数の医療制度後進国なんだよ。
救急車がたらいまわしの破綻しそうな医療制度に、日本がどのくらい国家予算をさいていて限界だと言っているのか考えて欲しい。

単なるアメリカ批判ではなく、お金儲け中心の国の繁栄が一人ひとりの幸せにつながるのか、ということをこの映画を観て考えてみて欲しいと思う。
「国民の安全と健康を守るという国の使命」を具現化するために行うべきこととは何かが、彼の前作”華氏911”とつなげてみると良く見えてくる。

2007年9月19日水曜日

パッチとマザーテレサ

人々を救済していこうという働きをしている人はたくさんいます。

どんな方法でどの部分を救済していこうと考えるかはそれぞれ違いますが、ひとつ共通しているのは”使命感”でしょうか。

パッチ・アダムスとマザー・テレサ、私はこのお二方と実際にお会いしたことがあります。
マザーと会ったときはまだ何も出来ない、毎日をぼんやり過ごしていた年齢だったのですが、とても身近な存在というか、どこにいても人々の中に溶け込んでいく人・・・という印象を覚えています。

二人とも社会の生み出す貧困と暴力の犠牲になっている人々に対して、問題意識を持ち自ら活動を始めたひとではあるのだけど。本当に大きくくくれば、マザーは身近な人々、一人ひとりに目を向ける活動をしていた人。パッチは社会の流れを変えていくための活動をしている人。ということが出来るかもしれません。

この「CO」と「MASS」のちがいはあるけれど、見ているものは同じ。このマクロとミクロの目は私たちの中に誰もが持っているものです。社会情勢をどう受け止めるか、身近なことのどこに問題意識を持つか・・ってことでしょうか?

パッチは「~だから出来ない」って言うのはナシにしよう。って言っています。
この”~”っていうのは自分の能力やしがらみのこと。
「I wont to do」って言ってるうちは何も起こらない、夢を実現するために必要なのは「I do」って言うことなんだよ!って。
これはなにも平和活動だけでなくて、すきなことを極めたい!とか、私はこうなりたい!という個々の目的のためにも活用することができます。

救済という言葉はあくまで俯瞰からみたものの言い方で副産物でしかありません。
彼らは愛の発見者であり、発信者です。
愛の発見者であるという使命感が、彼らから能力の限界やしがらみへのネガティブな思いを取り除いているように思います。
私たちからすると突き抜けて見えるのはそこなのかもしれません。

私も二人にならい、「I do」の思考で夢や目的に近づけるようにしていこうと思います。
(パッチ的にはしていきます。と言わなければなりませんね(^^;)

パッチのしっかりした大きな手、マザーの小さくて柔らかな手。どちらの手も本当に暖かい手でした。


これはパッチの活動の発信基地です興味のある方は覗いてみて!
http://www.patchadams.org/home.htm

2007年9月16日日曜日

稲川淳二その2

稲川淳二のミステリーナイトツアー行ってきました!

15HTアニバーサリーと言うことだったんですが、特に特別な企画もなく、いつもどおり淡々と進行。
ただ、いつもながらセットや音響、照明は実に凝っていて感心しました。

稲川さん、今年は還暦だそうで。
最後には赤いチャンチャンコを着てくれましたが、相変わらず朗らかで明るくてサービス精神あふれる人柄の出るステージでした。

考えてみれば、恐い話だけでステージをするっていう発想がすごい。
ただ、人の話をじっと聞く機会ってどんどん減ってきているというか、あんまり日常ではないなぁ。

このステージのセットは毎回、晩夏をイメージさせる開放的な日本家屋で、稲川さんの言うとおり夏休みに帰省した親戚の家って感じ。
幼いころ、農家だった祖母の家に泊まりに行くと、畑の行き帰りだのどこかへ行くところだの、とにかく家の前を通りかかったって言うだけで寄るんだよね。人が来るとままどうぞなんて無理やりにでもお茶を進める、じゃ一杯だけっていってあがり端に腰掛けて四方山話をしていく。次から次へとそんな人が寄っていったっけ。時々採れたもの置いてったりして。

今の生活じゃ考えられないよ。
だって、前を通ったっていうだけで家に寄るんだよ。毎日通ってる道だよ。
昔の人はお互い様とか、もてなしの心とか染み付いていたんだよね。農業は共同作業だから、コミュニケーションはとてもとても大事だったんだろうな。
日本家屋の開放感って、人を招く作りなんだなぁなんてこともつくづく感じます。

稲川さんのステージには10代からお年寄りまで、世代や男女差がなくリピーターが多い。
自称「田舎のおっちゃん」という彼と彼の話が作り出す雰囲気は、まさにさっき書いた近所づきあいが濃密だったころの郷愁を感じさせる。
この郷愁って経験のあるなし、世代に関係なく日本人のDNAに染み込んでいるんですかね。


今年の話も恐くておもしろかった。
また、来年も行きたいです。

2007年9月14日金曜日

稲川淳二

明日は稲川淳二さんのミステリーナイトって言うお話の会に行きます!

知る人ぞ知る、人気講演です。

私と友人の二人はここ3年ぐらい出かけていますが、リピーターが多いようで、なかなかの盛り上がり。
セットや音響や照明なんか実に凝っていて、丁寧につくられたステージ。

なんというか、人柄と言うかしみじみとした語り口。
やさしい人なんだなぁ・・・と感じます。

ゾッとする話もあれば、不思議な話もあり。よくネタが尽きない・・・。

今年はツアー15周年記念講演だそうで、どこかいつもと違うのか、はたまたいつもどおりなのか
とにかく楽しみ!

2007年9月13日木曜日

それは、生き甲斐ですか?

私の昔の職場の同僚で、後輩と結婚し二児をもうけたM君。
二人目の出産後、彼女は若くして脳溢血に倒れ、寝たきりで会話もままならない状態。
そんな状態がここ何年も続いているようです。
妻の介護や家事、子育て、おまけに子供の怪我や病気の通院などなどに奮闘し、仕事もままならずに有給もすでにこの半年で無くなりそうだとか・・・・。

大変だよね。つらいよねって思う。

今日、彼の上司でもある私の友人からM君のことで相談がありました。
「日々の生活の大変さに加えて、自分の体の不調や、子供の怪我が続いたり。このごろの彼はますます見るに忍びない。変なことを言うようだけど、お払いしてもらったほうがいいんじゃないかという気にさえなってくる。特に上司としては、Mの勤怠や仕事への姿勢が、職場の信頼を失いかけてることに対して危機感も感じる。子供の将来もある身で、仕事がうまくいかなくなるのは決していいことじゃない。自分として出来ることはないのかな。」と。
私は「M君自信が何かを変えなきゃ・・・と思わない限り、何も変わらないのじゃないかと思う。今、感じていることをストレートに伝えてあげることじゃないかなぁ。」と答えました。

M君はおっとりとしていて、優しい。だからなのか、長いものに簡単に巻かれてしまうところがある。
自分より人のことを優先してしまうようなところがある。
よく言えば、自分の運命みたいなものをすんなりと受け入れてしまう。
悪く言えば、自分がないようにも見える。

彼女が倒れたときから、彼女の両親は近くに越してきて今も日中の介護をカバーしてくれている。
もちろん、同居しているわけではないので、すべてをやってくれるわけではありません。
親だって肉体的にも大変だろう、という遠慮がM君にもあるから、それ以外のことは自分がしなければ・・・とたくさんのことを抱えてしまうのかもしれない。
だけど、職場にも、自分の体力にも、支障をきたしている今のM君を見ていると、何かがが間違っているような気がしてならないのです・・・。

M君は何を守ろうとして職場や家族の人に頼り、何を守ろうとしてひとりで抱えているんだろう。


尽くすことは尊いことであり、美しいこと。
それは、一途な願いのこめられたものであり、ひとつの成就に向かうもの。

しかし、自ら憔悴し何かが崩壊していくような歯がゆさを感じるM君のこの状況は、尽くすということからどんどん離れていくように思えます。

「こんな事も昔は仕方なかったんだよ。」と力なく笑う、おばあちゃんの苦労話みたいだ。


M君に、そして(介護や子育てを含めた)人をケアする役割を担う人々すべてに聞きます。

それは、生き甲斐ですか?
それとも、対価の不十分な仕事ですか?

そこには、どんな願いがこめられていますか?
それは、どんな目的に向かっていますか?
あなたの苦しみや喜びは誰と分けていますか?


そして言いたいのです。
「ありがとう、感謝しています。あなたはすばらしい。生きていけるのもあなたのお陰です。」と言ってくれない相手をケアすることは、苦しくて、つらくて、自分が押しつぶされそうになります。
でも、燃え尽きるその前に「つらいのです、力を貸してください、話を聞いてください、お願いします。」と誰かに言う勇気を持って欲しいのです。
手を貸してくれる人がいたら、ただ一言「ありがとう。」でいいのですよ。
あなたの「ありがとう」で手を貸してくれる人々とあなた自身が、また動き出すのです。
あなた自身が発する「ありがとう」の一言が、あなたに何かを全うさせてくれるのです。