2007年9月13日木曜日

それは、生き甲斐ですか?

私の昔の職場の同僚で、後輩と結婚し二児をもうけたM君。
二人目の出産後、彼女は若くして脳溢血に倒れ、寝たきりで会話もままならない状態。
そんな状態がここ何年も続いているようです。
妻の介護や家事、子育て、おまけに子供の怪我や病気の通院などなどに奮闘し、仕事もままならずに有給もすでにこの半年で無くなりそうだとか・・・・。

大変だよね。つらいよねって思う。

今日、彼の上司でもある私の友人からM君のことで相談がありました。
「日々の生活の大変さに加えて、自分の体の不調や、子供の怪我が続いたり。このごろの彼はますます見るに忍びない。変なことを言うようだけど、お払いしてもらったほうがいいんじゃないかという気にさえなってくる。特に上司としては、Mの勤怠や仕事への姿勢が、職場の信頼を失いかけてることに対して危機感も感じる。子供の将来もある身で、仕事がうまくいかなくなるのは決していいことじゃない。自分として出来ることはないのかな。」と。
私は「M君自信が何かを変えなきゃ・・・と思わない限り、何も変わらないのじゃないかと思う。今、感じていることをストレートに伝えてあげることじゃないかなぁ。」と答えました。

M君はおっとりとしていて、優しい。だからなのか、長いものに簡単に巻かれてしまうところがある。
自分より人のことを優先してしまうようなところがある。
よく言えば、自分の運命みたいなものをすんなりと受け入れてしまう。
悪く言えば、自分がないようにも見える。

彼女が倒れたときから、彼女の両親は近くに越してきて今も日中の介護をカバーしてくれている。
もちろん、同居しているわけではないので、すべてをやってくれるわけではありません。
親だって肉体的にも大変だろう、という遠慮がM君にもあるから、それ以外のことは自分がしなければ・・・とたくさんのことを抱えてしまうのかもしれない。
だけど、職場にも、自分の体力にも、支障をきたしている今のM君を見ていると、何かがが間違っているような気がしてならないのです・・・。

M君は何を守ろうとして職場や家族の人に頼り、何を守ろうとしてひとりで抱えているんだろう。


尽くすことは尊いことであり、美しいこと。
それは、一途な願いのこめられたものであり、ひとつの成就に向かうもの。

しかし、自ら憔悴し何かが崩壊していくような歯がゆさを感じるM君のこの状況は、尽くすということからどんどん離れていくように思えます。

「こんな事も昔は仕方なかったんだよ。」と力なく笑う、おばあちゃんの苦労話みたいだ。


M君に、そして(介護や子育てを含めた)人をケアする役割を担う人々すべてに聞きます。

それは、生き甲斐ですか?
それとも、対価の不十分な仕事ですか?

そこには、どんな願いがこめられていますか?
それは、どんな目的に向かっていますか?
あなたの苦しみや喜びは誰と分けていますか?


そして言いたいのです。
「ありがとう、感謝しています。あなたはすばらしい。生きていけるのもあなたのお陰です。」と言ってくれない相手をケアすることは、苦しくて、つらくて、自分が押しつぶされそうになります。
でも、燃え尽きるその前に「つらいのです、力を貸してください、話を聞いてください、お願いします。」と誰かに言う勇気を持って欲しいのです。
手を貸してくれる人がいたら、ただ一言「ありがとう。」でいいのですよ。
あなたの「ありがとう」で手を貸してくれる人々とあなた自身が、また動き出すのです。
あなた自身が発する「ありがとう」の一言が、あなたに何かを全うさせてくれるのです。