2007年10月13日土曜日

癒すということ

「癒す」という言葉が多く使われて何年もたちます。
では癒すとはどういうことなのか?
どうなると癒されたと思う?

気持ちが前向きになる。活力が出てくる。すっきりする。

うーん・・・分かりにくい。

膨大な広告の中にもたくさん出てくるこの言葉。
簡単に使っている割には、言葉の奥行きの深さと、現実の癒しのあっけなさとの間にあるギャップが、すごく大きく感じられるのは私だけ?

リセットすること?
ゲームみたいにね、リセットできればいいよ。リセットしてやりなおす・・・。
でも人生のロールプレイはリセットできない、過去を生かしてよりよい未来を手に入れるしかない。

肩が凝って、それをマッサージする。
それは癒し?

私はそれを「ほどく」と呼ぶのが一番ふさわしいような気がしています。
(まあ、ほぐすでもいいんだけど。)


エネルギーワークや他の私の個人的な活動のなかで、伝えたいことは色々あるんですが。
大きなストレスや苦痛、悩みに立ち向かう、その人本来の力を呼び覚ますこと。
それが私の一番の目的です。
それを癒しと呼ぶのか否かは正直分かりませんが。

スローライフだとか、ロハスだとか何かを自分に課すのではなく、今の今までの自分をまず認めて、そこから求める方向を選択する。その結果がどういうネーミングでもいいんです。自分が満足する方向に向かっているというのが本来あるべき状態なのだと。
(もちろん、それが非社会的なものであれば淘汰されます。うまくいきません。このことに関してはまたの機会に触れてみようと思います。)

自分の魂を癒す力は、誰もが個々に持っている力です。
私は魂の癒しって言うのは、最終的に与えられるものではないと思うのです。
きっかけや方向性を与えられることはあっても、その人の本質には誰も手を出せないからです。

なので、私ができることはきっと、技術的なレベルが上がったとしてもどこまでもお手伝いです。
目の前のフィルターが除かれて、よく見えるようになる。
重荷が除かれて、よく動けるようになる。
数え切れなくなったものが、数えられるほどになる。
それだけでできる事や、分かることが出てくる。
そういうものなんじゃないかなぁ。

いろんなことがあるから、肩凝りみたいにほぐしてもほぐしてもまた凝ってくる。
なら、そのつどほぐすしかないじゃんね。
でも、肩が凝らないような生活ができたら一番いいよね。

今の時代、膨大な情報や移動の高速化でやることが知らない間に増えている。
人はいつもいつも緊張している。

だから、とりあえずほどかなきゃね。