2007年10月15日月曜日

危機管理って・・・

危機管理とかリスクマネージメントとか、この頃よく耳にする言葉です。
何か事件、事故が起こるたびに「責任者の危機管理が…」なんてあたりまえのように指摘されてますが。

思うんですけど、この場合の「危機管理」って本来、想定される危険因子を事前に把握して、回避するということですよね。
で、この「危機」による被害者というのは本来、消費者だったり患者だったり、管理を受ける側だったりするんだと思うんだけど。
近頃の流れを見るに、経営側の「経営の危機」に関する防御を危機管理と呼んでいるんじゃないかと思えてならない。

PL法に代表される、分厚い取扱説明書の警告欄や治療・手術前の医者のインフォームドコンセント、いづれにしても「こういう場合は責任は持ちません」という但し書きでしかないようにおもえてならない。
それを重々承知の上で、その取り説を読んだり、説明を受けたりしている平凡な人々は偉いなぁと思う。

訴訟国家アメリカのクズみたいな弁護士が、クズみたいなことで訴訟を起こして、クズみたいな判審員がそれに引きずられて常識では考えられないような判決が出るっていうのに習い、保障、保障と騒いでいる世の中が背景にあるわけだけど。そんなことは夢にも考えていない善良な人々にまで、それはないでしょうと思う。
(証券会社がお客が売っても買っても利益が出るように、裁判でご飯を食べているひとは訴訟が増えれば食いはぐれはない訳です。で、殺人の原因がドラえもんだったなんてことも言い出す阿呆が増えるのです。死刑を回避するために、あんなにたくさんの弁護士に誰がお金を払ってますか?少なくても国選弁護人ではないですよね。ボランティアという名の売名行為ですか?死刑回避といいつつ、人の生き死にに対価を求めてるのは結局あんたたちじゃないんですか?危機管理から逸脱してしまいましたが(^^;)

なぜこんなことを言ってるかというと、近所のおじさんが手術を受けるのに「医者に脅されて、不安で不安で仕方ない、けど他に方法もない。」って言うのを聞いたから。

患者の意思を尊重し、選択の自由を促すためのインフォームドコンセント、自分の身に起こること治療の内容を納得して治療を受けるためのインフォームドコンセントのはずなのに、手術前の患者を不安にしてどうするんだよって思います。
「これを治すにはこれとこれしかないです。でもこんなことやあんなことが、これくらいの確率で起こる可能性があります。それでもやりますよね、他に方法がないんだから。」っておじさんの耳には聞こえていたに違いない。
手術じゃないと・・・って言われただけでショックなのに、こんなことがあってもそれは選択した人の自己責任ですよ。じゃここに(訴えないって)サインしてって言われたらどう?
そりゃ、何事もすべてがうまくいくわけじゃない、当たり前だ。でも失敗したら、どうしてくれますか?って聞く患者はおそらくいないと思う。言い方、接し方、その医者の心構えの問題なんじゃないかな。

神の手を持つというある脳外科医がテレビの特番で「患者さんは命を掛けている、だから僕もリスクの説明はしない。自分を守って手術をするなんて、命を掛けている患者さんに失礼だと思うんです。」といっていた。すごい、分かっている人なんだなぁとひどく感心しました。手術を受ける患者さんも「あの人の人間としての姿勢に絶対的な信頼を置いています。何かあって僕が死んでもこの人になら命を預けていいと思っています。」と言っていました。本当にすごい。でも、それが真理なんじゃないのかな。
愛があるもの。

台所で包丁を使っていて指を切っても、車を運転していて事故にあっても、製造者や販売者を訴えたという話は聞いたことがない。当たり前だけど・・・。

それを人は常識と呼ぶ。

相手に対する思いやり。結果に対する反省。
危機管理の言葉の裏には、何かを人に提供する側の思いやりが問われなければいけないのじゃないでしょうか?そしてそれは、うちはこんなにちゃんとやってます的なものでなくて、提供するときも、その後も、極めて常識的な感覚での対応が求められているんじゃないですかね。

もし、私がおじさんと同じ立場だったら・・・「先生も同じ病気になったら、安心して受けられる手術ですか?先生の親がこうなったら、手術を勧めますか?」って聞いてみようと思います(^^)